
東北地方太平洋沖地震 震災ニュース from 村野
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とにかく、災害から逃れられた命を守らなければなりません。
7月11日
いつも大変お世話になります。大分県社協の村野です。
7月9日・10日に大分県ボランティア連絡協議会の研修として新燃岳噴火災害で被害のあった(まだ終息していません)、高原町へ行ってきました。
私は参加が出来ませんでしたが、当センター所長をはじめスタッフは参加しました。その研修資料を拝見させて頂くと、高原町社協事務局長作成の冊子の中に
重要なメッセージを見つけました。
”「備え」「意思統一」シンプルでいて難しい”
高原町社協は、事務局長と係長が行政兼務で、主事2名、臨時職員1名、ケアマネージャー1名
訪問介護員9名体制です。この体制で”災害ボランティアセンター”を運営してくださいと言っても到底無理ですよね。確かに、災害ボランティアセンターの組織図を拝見すると、行政職員や商工会女性部観光協会や大学生もセンター運営に深く携わっています。そして、県内社協職員の応援も必然です。
その状況の中から、行政兼務の事務局長の言葉は、
”有事の際に十分な準備をしておく「備え」を心掛け、職員全員が危機意識を持ち、情報の共有、自分達がどのように動くのかを「意思統一」しておくことが大切であり、また、それは、関係機関等とも確認する必要があり、理解を求めていくことが重要であると感じました。”
実際に被災をし、中心となって活動を行った方の体験からからでた言葉であり、私たちはこの言葉の意味を十分に理解し、有事に備える必要があると思いました!
さて、被災地の情報を転載します。
ー以下転載ー
つぶやきから見える風景
……………………………………………………………………………………… 私たちは災害直後から、「足湯」ボランティアが接した被災者の声を「つぶやき」と読んでご紹介してきましたが、そのつぶやきも時を経るにつれて変化し、人々の置かれている状況を映し出しています。改めて被災された方の思いに目を向け、寄り添い続けるため、「つぶやきから見える風景」と題していろいろな時期のつぶやきをご紹介しています。 * * * 「ここさ避難して大分たつども、時々ふっと、『そうだ、家にアレを忘れできたった。取りに戻らねば…』と思う。 家が失くなってしまったということをすっかり忘れてしまうことがある。これって、なんだべ…」 (4月13日、岩手県、80代女性) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月17日(金) ……………………………………………………………………………………… 今日は、大槌町のかみよ稲穂館に遠野市松崎町婦人会のNさん、Eさんが同行してくれました。お二人ははじめて見た被災地に「ありゃ〜」「信じられないね〜」「こんなところまできたんだ〜」と変わり果てた街並みにただただびっくりしていまし た。 今日は2回目の訪問でしたが、途中でかみよ稲穂館の方から何時に到着しますか?という連絡を頂きました。みなさん待ちきれない様子でお電話をくれたそうです。 行くとみなさん出迎えてくれて、「この一週間がとても長かった」と話してくれました。「どうしても顔のところがわからなかったのよ〜」と話しながら、みなさん針を運んでいました。私たちが3月末にお邪魔したときに、「被災前には、仕事から帰ってきたら、ミシンをさわっていたの。震災から全然できなくて、今日はこんなぞうさんを久しぶりに作れてよかった」と話してくれて玄関まで見送りにきてくれた女性と久しぶりに再会しました。彼女は仮設住宅が当たり引っ越しの準備を進めていました。でも仮設にはすぐには移らず、少しずつ荷物を運んでいるそうです。仮設でもぞうさんづくりをしたいと話してくれました。 松崎町の婦人会の2名の方は今回が講師としてのデビューでしたが、わきあいあいとお話しをしながら「まけないぞう」づくりが進みました。中にはとても仲の良い漫才コンビがいて、とても息が合っていたので、震災前からのお友達なんですか?と聞いたら「いいえ、いいえ、全然知らないもの同士だったけど、3ヶ月も一緒にいたら仲良くなるわよね〜」と楽しそうにしていました。 講師のNさんは、いつもぞうさんの耳に使っている型紙とどうしても出てしまう糸くずをすてる紙のゴミ入れを作ってきてくれたり、小さなことかも知れませんが、とても優しい心遣いをしてくれました。 もう一人の講師Eさんは、「まけないぞう」づくり作りをしていて、最後にはその被災者の方が「今日はここに泊まっていってくれないの?」とそっと腕をつかまえてささやかれていました。帰りの車中では、「あの人、私の姑に似ているのよね〜」とうれしそうにささやいていました。お二人とも初めての講師としての体験でしたが、やはり地元の方同士話しもスムーズでとても和やかに時間が過ぎていきました。 ●足湯でのつぶやき ・「みんな仮設に入ってしもうた」 ・「何とか命助かって今は主人と二人で避難してきている。やっと仲良くなった避難所の人たちも少しずつ仮設に住宅に入居している。仮設住宅に入居したら、また一から関係をつくらないといけないから大変・・・。先週は久しぶりに盛岡の方へ日帰り温泉ツアーに行ってきて、帰り百貨店によって、帽子と行けないお友達の分のハンカチを買ってきた。車もないから山奥の仮設住宅などに入居したら大変。」 (吉里吉里エリア・遠野足湯隊より) 写真もご覧下さい。 ブログ→ http://miyagijishin.seesaa.net/article/214047079.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ つぶやきから見える風景 ……………………………………………………………………………………… 「怒りがこみあげてくる。 なんにもかにもしてもらっていては、だめになってしまう。 できる力があるのに、これではだめになってしまう。 一緒にしないで、後から『ありがとう』だけではね。 遠野に家を見つけてもらったから、移ることにした。 市長に会って、自分のできることを見つけたいだよ。 遠野の人はよくボランティアしているよね。 他の所は来てすぐ帰るべ、遠野のずっと続けてきてくれるものね。 足が冷たかったら待っていた。」 (遠野足湯隊による聞き取り。6月25日、岩手県、50代女性) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月29日(水) ……………………………………………………………………………………… 今日は、愛知県の大口町社会福祉協議会のみなさんと神戸大学の先遣隊チーム、そして生活協同組合おおさかパルコープからのボランティアさんなどと陸前高田の仮設住宅にお邪魔しました。 この仮設住宅は被災地を見渡す高台に建設され、集会所はありません。周囲は山に囲まれ、火葬場の前を通って山道を数百メートル進まないとこの仮設には入れません。スーパーや病院、学校はなく、徒歩で40分も50分も歩かないと行けないような立地で陸の孤島になっています。 そんなところで「まけないぞう」を作ってくれているお二人の方、MさんとIさんがいます。このお二人は陸前高田市内の「上和野公民館」という避難所で一緒だった方です。この仮設に入居する際に、この避難所の方たちは目印にオレンジ色の布を玄関にかけることにされました。Mさんのお宅にはそのオレンジの布と「まけないぞう」がかけてありました。 Iさんは、お家の中で近所の人に「まけないぞう」づくりを教えていました。「この人がぞうさん作れるというから教わり来たの」と汗をかきかきぞうさん作りが進んでいました。 その間に仮設住宅の空きスペースにテントを建て、準備をしていると住民の方々が声をかけてくれます。「お茶会をするので来てください」と個別訪問させて頂き、テントが完成する頃にはお客さんが集まり始めました。 今日は大口町のみなさんがご当地カフェとして名古屋名物「小倉トースト」を用意してくれました。とってもおいしいと大好評でした。被災者の方は久しぶりの再会をした方がいたり、初めて会う人たちと語り合っていました。「やっぱこういう集会所は必要だよね」「何もないと家にこもってしまうから」「あら〜あんたここに来ていたの?どこに避難していたの?」などなど再会を喜ぶ人、お茶を楽しむ人などなどあっという間に満員御礼でした。改めてコミュニティセンターの必要性を実感しました。 「まけないぞう」づくりも人気で、「自分でつくると不細工でもかわいい〜」「家にいても退屈だから」と、まけないぞう作りの講師である遠野市松崎町の婦人会の人たちも大忙しで、「先生!教えて〜」とひっぱりだこでした。
ー以上ー
6月19日 被災地NGO協働センターです。
6月21日
▼つぶやきから見える風景
▼「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ つぶやきから見える風景 ……………………………………………………………………………………… 6月18日、震災から100日が経過しました。この間少しずつ瓦礫が撤去されたり仮設住宅への入居が始まったりと、状況は移り変わってきました。 私たちは災害直後から、「足湯」ボランティアが接した被災者の声を「つぶやき」と読んでご紹介してきましたが、そのつぶやきも時を経るにつれて変化し、人々の置かれている状況を映し出しています。 私たちは、改めて被災された方の思いに目を向け、寄り添い続けるため、「つぶやきから見える風景」と題していろいろな時期のつぶやきをご紹介していきます。 * * * 人によくしてもらってねえ、ありがたいわ。 毎日泣いてるのよ。でも、悲しくて泣くんじゃないの。 自分のほんとの悲しさは、仮設に入って自分の空間を持ってからになると思うわ。 避難所では、やっぱり言いたいことを我慢してるからね…。 (4月2日、70代女性、岩手県) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月15日(水) ……………………………………………………………………………………… 今日は、大槌エリアの小槌地区多目的集会所に伺いました。そして、今日はまた遠野市の松崎町婦人会のKさんが講師としてデビューしました。 以前にお邪魔してから時間が少し経っていたのですが、みなさんいろんなぞうさんを作ってくれていました。子ぞうやレターフォルダー、キーホルダーなどいろいろな形の「まけないぞう」が生まれていました。手先が器用な方が多く、工夫されていました。今日の講習では、夢中になりすぎていて、静かにもくもくと作っていました。以前、お孫さんが盛岡から会いに来ていて、一緒にぞうさんを作っていたMさん。津波でご主人がいまだみつからずにいるそうです。今週末もお孫さんが会いに来てくれるので、待ち遠しい様子でした。 松崎町の婦人会のKさんは、大槌町に親戚がいて、震災の前の日にお葬式で会って、その次の日に津波で亡くなってしまったそうです。「あとは任せたよ」と言われたような気がしていると話しておられました。その避難所にいた方が偶然にもKさんの親戚の近所の方で話しをすることができました。Kさんは、「大槌町に行くので、誰かその親戚の方を知っている人がいるかも知れない」と思っていたそうです。話の中では、「堤防沿いの人たちはほとんど津波もってかれたよ」「糸も針もなんにもなくなった」と・・・。 今日の「まけないぞう」講習会は、足湯隊がイベントに参加したときに、偶然遊びに来ていた被災者の方と出会って、「ぞうさんの材料がないから早くきて欲しい」という声を聞いてくれたのです。その被災者の方は仮設があたり、今日は引っ越しの準備などで忙しく参加できませんでした。 みなさんは仮設では避難所でせっかく仲良くなった人たちがバラバラになるので、不安だけど早く入りたいと、気持ちは交錯しているようです。また、仮設住宅の敷地は、すべて砂利道です。杖を使ったり、足の悪い人はとても歩きにくいそうです。靴底が薄いと石があたり痛くなったり、つまづきそうになるので心配ともらしていました。もちろん車いすやベビーカー、シルバーカーでは移動は大変になります。行政にはアスファルトなどの舗装を検討してもらいたいものです。 日々仮設へ移行している被災者の方、避難所に残る人たちそれぞれの気持ちが複雑にいりくむなかで、「まけないぞう」が辛いことを少しでも忘れられる瞬間であってほしいです。 被災者のつぶやき 「こんなぞうさんを教えてもらって幸せ」・・・ (増島智子) 6月23日
▼つぶやきから見える風景
▼「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ つぶやきから見える風景 ……………………………………………………………………………………… 私たちは災害直後から、「足湯」ボランティアが接した被災者の声を「つぶやき」と読んでご紹介してきましたが、そのつぶやきも時を経るにつれて変化し、人々の置かれている状況を映し出しています。改めて被災された方の思いに目を向け、寄り添い続けるため、「つぶやきから見える風景」と題していろいろな時期のつぶやきをご紹介していきます。 * * * ホタテ、ワカメ、スキコンブ…これからだったのに全部パーよ。 何年か前に癌になって、抗癌剤治療を死ぬ思いでがんばって良くなったのに…。 今は食欲が無くて、ここの食事も半分しかとれなくて便秘なの。 こんなふうになったことないから、2日も便がないと気持ち悪くて。下剤飲んでるの。 仕事はもう年だからいいんだけどさ。働きすぎだって言われたこともあるし。 (4月10日、岩手県、60代女性) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本財団ROADプロジェクトのご報告 ……………………………………………………………………………………… 当団体スタッフの頼政良太を、4月より「日本財団ROADプロジェクト」事務局に派遣 しています。状況をご報告致します。 * * * 日本財団ROADプロジェクトでは、3月25日より今までの間に延べ500人以上の足湯ボランティアを派遣しています。 足湯ボランティアを送っている地域は北から遠野市(大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市)、気仙沼市、石巻市、七ヶ浜町、郡山市です。 今までのつぶやきも3000枚以上集まっています! 今後も継続して足湯ボランティアを派遣していきたいと思います。被災地では、避難所から仮設住宅への支援へと支援活動が変わってきつつあります。 ハード面で言えば、冬を乗り切れるかが心配という声が多く聞かれています。例えば、窓が二重ではないことや玄関からの吹き込みが心配、という声が出ています。 東北地方の冬は厳しく、雪がたくさん降る地域もあります。仮設住宅とはいえ、冬に対する備えは必要でしょう。 仮設の入居に関して、「仕事が無い」「仮設に入った後の生活費が心配」「2年後に仮設から出た後が…」という先の見えない不安がつきまとっているようです。仮設住宅への支援というだけでなく、仮設から出た後も見据えた支援、雇用につながる支援をしっかりと考えながらやっていく必要があります。 今後もそれぞれの地域、一人ひとりに向き合った支援活動をしていきます。 (頼政良太) 6月24日
被災地NGO恊働センターです。
6月26日からの兵庫県佐用町での山林整備事業再開に向け、現地で活動している境智子(兵庫県立大学学生)のレポートです。 スタッフ福岡洸介は竹炭焼きに汗を流しています。 境は先日、町の方々とのお茶会に参加しました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 6月15日:二度目のお茶会 ……………………………………………………………………………………… スタッフ福岡が炭焼きに集中している間、私一人でコミュニティの人たちが集まるお茶会に参加しました。道に迷い、狭く見通しの悪い道に怯えながら、どうにか集会所に到着。 自治会長さんと民生委員の方へのご挨拶もそこそこに、持参したお土産のお菓子を渡しました。みなさん喜んで下さって、こちらも嬉しくなりました。竹炭焼きの話をお聞きしたり、間伐材の利用法について相談したりしました。民生委員さんは薪でお風呂を沸かしているそうですが、やはり質の良い木の方が保ちや火力がよいとのことです。 新たな課題ができてしましました。 お話も一段落ついた頃、くじ引き大会が始まりました。皆さん賑やかに、番号を言って下さいます。探すのも一苦労です。一番人気の賞品はバケツでした。当てた方は皆からうらやましがられていました。記念に一枚。私に「ほら、おねえちゃんが真ん中いきなよ」って仰って下さった方も。最初よりも笑顔がいっぱいで、絆が深まったでしょうか。 ここで社協のEさんのご登場です。お忙しいのにわざわざ来て下さいました。くじ引き大会に間に合わなかったのですが、せっかくなので私が当てた賞品を差し上げました。そろそろ良い時間なのでお開きです。26日に行う足湯に参加をお願いしました。 お片付けにも参加させてもらえて、少しずつですが受け入れてもらえているような気がしました。 ついでに5月24日に植えた大豆の様子を見に行こうと思っていたら、自治会長さんからお誘い下さいました。なんと、ダムにも連れて行って下さるとのことで、喜んでついて行きました。大豆は大分大きくなっていました。雑草よけをしている方が成長が良かったです。キュウリは小さな実ができていたし、トマトも小さな青い実ができていて、夏休みに小学生が採りに来るまで保つかなあと仰っていました。 お礼を言いながら、奥海を後にしました。兵庫出身でもない私が受け入れてもらえるか不安でしたが、杞憂だったみたいです。きちんと真心を込めれば、世代に関係なく仲良くしてもらえるのだなあと、初夏の山中で思いました。26日の足湯も楽しみです。 (境智子) ー以上ー
宮崎県高原町も兵庫県佐用町も被災地です。東日本大震災で忘れられたような感がありますが、”震災がつなぐ全国ネットワーク”では、継続して支援活動を行っています。東日本大震災でも拠点を10ヶ所に設けて支援活動を行っていますから、今回は誰もがめいっぱいの活動を行っています。
被災者を支援するべく施策がいろいろな省庁から出されているのですが、それが被災者まで届いていません。被災地自治体が機能していないことと、省庁ごとに出される施策はカテゴリー別にされていないため、全てを確認しなければ問題を解決する情報が見つからないのです。(また、解釈についても問い合わせしなければなりません)
先日、東京で現地活動者から現状問題を提起してもらい、参加者で情報共有をし、今後の支援の方向性や問題解決の話し合いが行われました。足湯活動などを通じて被災者のつぶやきを拾い、ネットワーク(震つな)に発信し、これまでの解決事例を書き込む。また、解決の為の制度や仕組みも書き込む。これまで被災地で支援活動を行ってきたメンバーの知恵を集結させ、新たな施策については東京に張り付いているスタッフが、各省庁に出向き、確認を行うことになりました。私は後方支援としてこの情報を整理することにしました。これは大分県にとっても大切な情報になることと思います。大分県災害ボランティアネットワークのみなさまも、専門のお知恵をお持ちですので、是非ご協力をお願い致します。整理した情報は発信していきますので…。
2011/06/04
おはようございます。
大分県社協の村野です。
本日は広く関係者に送信をしております。(再度の方はご容赦願います)
よろしくお願い致します。
東北では大変な状況が続いていて、被災された方や、被災地支援に奔走している方々のことなど関係なく動いている中央の方々を映像で見るにつけ、彼らの動きを待ってはいられないと感じる今日この頃です。
そして、そんな状況の中、民の力で力強く被災地の支援を継続していこうという動きが仙台から入ってきました。みなさんも是非この動きに敏感に反応して頂けたらと思います。
内容は、下記サイトでご確認下さい。
情報発信が滞ってしまって申し訳ありませんが、これまでの現地情報の中、このことはみなさんにお伝えしておきたいと思った内容を転載します。今後は順次お伝えしていきたいと思います。
ー以下転載ー
被災地NGO恊働センターです。
5月26日、スタッフのMが神戸を出発し、再び岩手県遠野市に向かいました。岩手県沿岸部の支援を行っている遠野まごころネットで来年3月まで活動します。各地にまけないぞうづくりを広めてくれる予定です。27日、道中の山形県米沢市でもまけないぞうづくりを行いましたので、そのレポートをお届けします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Mの活動レポート ……………………………………………………………………………………… 26日に、神戸を出発し山形県米沢市に入りました。道中、新潟にいる私たちの仲間のSさんが差し入れを届けてくれました。彼女は中越の地震から救援活動を続け、今回の災害では、宮城県七ヶ浜町で活動をしています。各地で仲間たちが、「いま、私たちができること」をしています。ありがとうございます! その日の夜、生活クラブやまがた生活協同組合の結いのきに到着しました。夜遅くにも関わらず、ここで活動されている方たちや、当センタースタッフのRが出迎えてくれました。 翌日Rに案内され、雇用促進住宅で、相馬市、南相馬市から避難してきている主婦の方お二人とまけないぞうづくりをしました。雇用促進住宅は、1970〜80年代にたくさんの企業を誘致し、産業が盛んだった万世地区に建てられた住宅で、家の中は傷みが進み、最初に入った住民は自らあちこち掃除をして入ったそうです。 お二人とも初めての土地に戸惑いながらも前向きに生きていこうとしている姿に元気をいただきました。作りながら、地域のお店の情報や子どものこと、家業のことなど話が尽きませんでした。Sさんは家業のお店を津波ですべて流され、原発の避難区域に指定され、帰れるあてはありません。Eさんは海産物の販売業で、避難区域ではないのですが、小さなお子さんを抱え、放射能が心配で避難してきたそうです。 話の中で、「東電のやり方は許せないけれど、その恩恵を私たちも受けてきたので、これからは自分たちの生活も改めないと」とおっしゃっていました。人間の欲するまま、利便性を求めた結果が、このような甚大な被害をもたらした人災が起きたのではないでしょうか。 「一生この土地で暮らしていくと思ってきた。やっぱり帰りたい」とおっしゃいます。当たり前の暮らしが破壊され、戸惑う被災者に一体、いま私たちは何ができるのでしょうか? Sさんは「旅館に避難していました。食事も出してもらっていてありがたいけど、やっぱり主婦だから自分で食事を作って家族に食べてもらいたい、それが私の仕事だから」と話してくれました。改めて被災者に対して支援するだけでなく、お互いに支え合える関係が必要だと感じました。 お二人はまけないぞうを作りながら「お茶会などに誘われたとき一人じゃ行きにくいけど、まけないぞうみたいにやることがあれば、お話しながらできるから行きやすい」とおっしゃってくれました。 午後からはすでに「まけないぞう」づくりをしてくださっている、MさんとWさんが来てくれました。お二人とも作りためたたくさんのぞうさんを抱えてきてくれました。お二人は原町と浪江町から避難してこられています。Mさんは来てからすぐ畑を借りてたくさんの野菜を育てているそうです。ホントに少しずつですが、被災者の人たちは前を向いて歩き始めています。 東北生まれの「まけないぞう」を間もなくみなさんのお手元に届けることができそうです。みなさん楽しみにしていてください。 Mの活動ポート(5月30日) ……………………………………………………………………………………… 5月28日に米沢を経由し、無事に遠野入りしました。1ヶ月前とは違い、新緑の風景が広がり、あちらこちらで田植えを迎え、緑がまぶしい季節になっていました。久しぶりの「遠野まごころネット」は事務局スタフの人数もが増え、活気にあふれています。ボランティアの人たちも自ら自治組織が作られ、ボランティアの受け入れをスムーズに行っています。 昨日29日には、当センターで呼びかけを行っている宮崎の新燃岳の人たちが被災地に訪れてくれました。遠野まごころ寮を訪れ、スタッフに挨拶をすませ、料理人のYさんにお会いしました。Yさんは深々と頭を下げ、宮崎の野菜を活用させていただいていることを伝えておられました。その中で「私は、津波ですべてを流されたけど、こうして何も関係ない人たちが来てくれて、下ばっかり向いていてもしょうがないから、ここで活動させてもらっています」と話してくれました。 翌日30日は、台風で被災地は荒れ模様でしたが、まごころ広場のリーダー臼沢さんにお会いしてきました。ここにもたくさんの新燃岳の野菜が届いています。臼沢さんは、「いつもおいしいお野菜ありがとう。みなさんにとても喜ばれています。特にいちごは人気ですぐになくなってしまいます」とのことでした。宮崎の方も肌で被災地を感じられることができて、「来てよかった」とおっしゃってくれました。道中は被災地を視察しながらでしたが、新燃岳の降灰の除去活動の大変さを思い出され涙をぬぐっておられました。まだまだ、大変な新燃岳の人たちのことも忘れないでください。今後も被災地から被災地へ想いを繋いでいきたいと思います。 明日は、まごころ広場でみなさんと、宮崎のお野菜を使って炊き出しを行う予定で す。
ー以上ー
2011/05/10
ー以上ー
2011年5月9日 みなさまはゴールデンウィークをどのようにお過ごしになったのでしょうか?
東北の被災地では、多くのボランティア活動者を受け入れ、ハードな作業をどれくらい片付けることが出来るのか?
それぞれの地域で奮闘されたようです。ただ、今後のスタッフやボランティア活動者不足をどのように解決していくかに
頭を悩ませている現状です。
それでは、本日も情報をお流しします。
@「輪っか和っか」プロジェクト
当センターでは上記活動を展開しております。
昨日の大分合同新聞社の朝刊に掲載されましたのでご紹介します。
また、HPでも詳しく掲載しておりますのでご覧下さい。
併せて、参加下さる団体もお待ちしております。
A現地活動者のレポートです。
被災者はひとくくりではなく、いろいろな課題を抱えています。
連休中の活動ですから長文です。お時間がある時にご覧下さい。
ー以下転載ー
5月3日報告より
『神戸とも、違うんだ。』
南相馬から避難してきている30代のKさん。 奥さんと小さな子ども2人の4人で、ここ米沢に避難してきている。 よく足湯に子ども連れで来てくれて、 足湯以外のところで会ったときもついつい長話をしてしまうおとうさんだ。 子どものことを考え、避難当初から、 内陸だから家は残ったけど、もう福島には戻らねぇ。と言っていたし、 原発の動向も事細かくチェックしているようだった。 ある日、KさんとKさんの生活スペースでお話していたとき、ぽろっと、 この避難所に、いつまでいられるんだろうなぁ、とつぶやいた。 私が神戸から来た、ということは認識してもらっていたので、安心してもらおうと、 神戸の避難生活も長期化しましたし、 そんなにすぐに出ていかないといけないことにはならないと思いますよ。 と伝えると、Kさんの様子が変わった。 それは神戸の場合でしょ?神戸のときと、違うんだ。 神戸はたくさん家をなくしたひとがいたから、そうだっただけで、 確かにこの避難所にも、家をなくしたひとはいるけど、 そういうひとたちと俺らは違って、家があるんだもん。 いつ帰れ、って言われるか分からない。 そう言われ、私にはそれに答えられるだけの言葉を持ち合わせてはいなかった。 そこからあふれ出した、原発への不安・不満、これからの生活の不安の言葉の数々を、 ただただ、受け止めることしかできなかった。 福島の数多くの自治体から避難してきている、米沢市の避難所。 米沢に限らず、福島から避難しているひとが集まる避難所では、 ひと世帯、ひとりごとに、抱える状況は大きく異なる。 津波被害にあったひと、津波の被害はなく家が残っているひと。 原発から半径20キロ圏内のひと、そうでないひと……。 よりそい方も、またひとつひとつ、たくさんのあり方が必要なんじゃないだろうか。 分かりきったことであろうに、全然分かりきっていなかったことだった、と 当たり前のことが、当たり前のこととしすぎて、 当たり前になっていなかったこと、恥ずかしく思う。
5月5日報告より
Yのレポート〜米沢より〜
……………………………………………………………………………………… 3月18日に米沢の市営体育館で足湯を開始して以来、沢山の方が足湯に来てくれている。 南相馬から避難してきたAさん(30代女性)は足湯の初日に来られた。ご自身もアロマを趣味でやっておられたらしく、足湯にも非常に興味を持っていて、始まる前から靴下を脱ぐくらい楽しみに待っていた。だが、初日でテレビや新聞の取材が殺到し、Aさんは、嫌がって近寄ろうとしなかった。その後、取材が減ってから足湯をされたが、それ以降、Aさんは足湯に来る事はなかった。 娘のSちゃん(14歳)は、毎日のように足湯を手伝ってくれているが、Aさんには、近くを通る度に声をかける程度で、いつも気になっていた。 そんなある日、体育館でAさんとすれ違った時、僕の顔を見ると「あっ!」と言い、「どうしたんですか?」と聞くと、「実はね。アロマのオイルがいくつか手に入ったの。」と言う。それから「数は少ないんだけど、これを体育館の皆に塗ってもらおうと思って。。」と話し出した。「よかったですね。」と答えると満面の笑顔を見せてくれた。 避難所にいる人々は、皆さん「何かしたい」、「いつか自分も恩を返したい」と心の中で思っている。被災者の人々は、先の見えぬ避難生活の中で自分の役割を見出す事で一歩前に踏み出そうとしている。
5月6日の報告より
『あるひとりのおんなのこ。2』 南相馬市原町区から避難してきているMちゃん。18歳。 早く家に帰りたい、と口癖のように言っていたが、 ひとまず1ヶ月は米沢にアパートを借りて住むことにしたようだ。 避難所で隣同士だった、はとこの家族は東京の親戚の家に行くことになった。 それぞれが次の生活を見据えて行動を決めていっている。 右も左も分からない土地に避難してきて、知り合いもいない米沢で、 同年代として話すことができていたひとと、また離れ離れになる。 そりゃ淋しいよ、とこころの底からそう思う、と言わんばかりにつぶやいた。 Mちゃんが避難所を出て行く前日。 私は、友達は狭く深くがいいんだ。だからあんまり連絡先とか交換しないの。 と言っていたMちゃんが、Mちゃんの方から 米沢の仲間のひとりと連絡先を交換していた。 おいしいケーキ屋さんに連れて行く約束を交わしながら。 福島から避難してきたひとたちからすれば、縁もゆかりも無い、 右に行けば何があって、左に行けば何があるかも分からないまちで、 先行きがどうなるかなんて分からないまま、暮らしていく。 外のひとから分かりやすい避難所の避難者から、 一見では分かりづらい、居宅に移っていく。 地元から遠く離れた地で、何を思い、何を考え、何に苦しみ、何に悩むのか… ひとりでも多くの、そうしたひとたちの声を聴くにはどうしたらいいのか。 そんなひとに対して支援者は何ができるだろうか。 5月7日報告より
Sさんのレポート〜遠野より〜
…………………………………………………………………………………… 5月の大型連休に入り、遠野まごころネットには多くのボランティアが全国各地より駆 けつけています。ピーク時には700名に迫る方々が登録されました。朝8時から全体 朝礼と行き先調整が行われ、バスに分乗し被災地へそれぞれ向かいます。私は「ま ごころ広場うすざわ」での足湯に参加をする予定でしたが、強風により中止となったた め急遽、近くの保育園の清掃作業に参加をすることになりました。 その保育園ではお昼寝時間がちょうど終わる頃地震が発生し、これまでの避難訓練 の甲斐もあって先生たちは子どもたちのパジャマの上からジャンバーを着せ、すぐに 近くのコンビニまで避難をされたそうです。そこで津波が町を襲うのを目の当たりにし、 更に高台へと避難されました。一緒に避難した子どもたちを全員家族へ引き渡したの は3日目だったそうです。 被災者でもある先生たちは、皆で協力しながら災害後から保育園へ来て泥出しや片 づけをコツコツとなされていました。しかし、保育園は津波が2メートル近く浸水してお り、教室も地下の収納ボックスも泥だらけです。偶然まごころネット関係者へ、その話 をされたために、ボランティア派遣のことを知られたそうです。お願いをした翌日には 40名近いボランティアが保育園へと清掃に入りました。みるみるうちにきれいになって いく園内を見られて、「人の力ってすごい」と涙されました。 被災地の泥出しや清掃は果てしない作業です。それをきれいにしたところで本当に そこがその後使用できるのかもわかりません。でもそこにはどこにでもあるくらしの風景 が災害前にはあったはずです。保育園の壁に貼られた給食献立表や壁新聞からそう いったくらしを垣間見ることができます。本当に小さな力ですがそういったくらしを取り 戻す作業に携われたことに感謝をし、ボランティアの力のすごさをみさせていただい た連休でした。
5月8日報告より
被災地NGO恊働センターの村井より、新しい取り組みのスタートをお知らせします。
皆さま、ぜひご協力下さい! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……………………………………………………………………………………… よみがえれ まけないぞう!! 被災地(KOBE・新潟)〜被災地へ 生きがい・仕事づくり「まけないぞう」事業本格化に向けて、いよいよスタート!! ……………………………………………………………………………………… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 4月29日から5月5日までの連休を使って、代表の村井雅清が米沢の拠点と岩手県 遠野市の拠点を廻り、「仕事づくり」を開始するにあたって、状況を見て来ました。 表記の「まけないぞう」というのは、阪神・淡路大震災以来被災者が作り続けてきた 手芸品で、新品のタオルを象の形をした壁掛けタオルに加工した手芸品です。4月 初旬に初めて岩手県の被災地大槌町の「臼澤鹿子踊り伝承館」という避難所でま けないぞうづくり講習会を行ったところ、Yさんを中心にその後積極的につくり始め ています。この臼澤伝承館は5月2日にオープンした「まごころ食堂」のあるまごころ 広場の近くなので、今後ここの広場でもまけないぞうづくり講習会を開く予定です。 また、5月6日陸前高田の上和野地区の避難所でも始まりました。ここは避難所だけ ではなく、避難所のある地域ででもつくろうと話題になっています。 さらに、今回は4月30日に山形県米沢市の市営体育館内武道場や小野川温泉の 避難所になっている春木屋旅館でまけないぞう講習会を行いました。その後このま けないぞうのつくり方を覚えた被災者が市内のアパートに引っ越し、その方が雇用 促進住宅に避難されている方に伝えています。こうして伝えるために外出すること に意欲が沸き、それが元気の渦となって連鎖反応の広がりとなりつつあります。米 沢に避難している被災者はほとんど福島の方々です。 また春木屋旅館で覚えた方は、お世話になったお医者さんや旅館の女将さんにご 自分でつくったまけないぞうをプレゼントし、また次のお世話になった方にどんどん プレゼントするというささやかな目標ができ、ますます元気になっているそうです。 実はボランティアグループ「とちぎボランティアネットワーク」が支援している鹿沼市 の避難所でも講習会を行い、福島からの避難者に伝え始めています。 こうして阪神淡路大震災で生まれたまけないぞうは、この度の東日本大震災でも大 活躍するでしょう!生きがい仕事づくりとして、阪神・淡路大震災以来16年間育っ てきた「まけないぞう」の“東日本大震災バージョン”が産声をあげます。 詳細は、HP(http://www.pure.ne.jp/~ngo/)でご案内していますので是非ご覧に なって下さい。そして、東日本大震災の被災者支援として、可愛いまけないぞうを 買って下さい(一頭400円)。また、まけないぞうをつくるための新品のタオル (色つき大歓迎!広告入りでもOK!です。)を提供して下さい。よろしくお願いします。 <お願い−T> 実は、まけないぞうをつくるための新品のタオルが全く不足しています。読者の皆 さん、是非家庭や職場などでおいてある新品のタオルを提供して下さいませんか? 誠に恐縮ですが、タオルを送って下さるときに、この東日本大震災支援活動を支え るためにタオル1本につき10円のご寄付をお願いしています。決して強制ではありま せんが、併せてよろしくお願いします。 <お願い−U> みなさまに購入して頂く東日本バージョンのまけないぞうの在庫をかかえなければ 注文に対応できません。それで東日本バージョンまけないぞうの在庫が一定数が 溜まるまでは「KOBE産まけないぞう」と「新潟産まけないぞう」を購入していただき、 その資金を東日本バージョンまけないぞうの買い付け資金に充当していきます。
ー以上ー
「まけないぞう」に関して協力や支援をお考えの団体は下記連絡先までご連絡ください。
こちらでお繋ぎ致します。
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〒870-0907 大分県大分市大津町2-1-41 社会福祉法人大分県社会福祉協議会 大分県ボランティア・市民活動センター TEL:097-558-3373 FAX:097-558-1296 村 野 **○o*¨∵o**○o*¨∵o**○o*¨∵o* 2011年4月12日
いつも大変お世話になっております。
大分県社協の村野です。
15日から福島県に入るというのに、余震といえるのか凄い揺れが続いています。
被災地では折角復旧していたライフラインが3月11日の状況に戻ってしまったところもあるようです。
さて、本日も被災地からの報告をお伝えしたいと思います。
今日は、震災がつなぐ全国ネットワーク(震つな)メンバーの栃木からの発信もお伝えします。
ここは、被災地に人を送り込む仕組みをいつも創っています。その時に集まった災害ボランティア活動初心者を
おなじみの方が上手にリードして栃木チームとして現地活動を行っています。必ず、引継の日にちをとり、
きっちりと次の活動者に引き継ぎます。このような仕組みは今後の参考になることと思います。
大分県内でも何かしたいという人達がたくさんいます。その中には現地に行けない高齢者や子どももいます。
その人達も気軽に参加できる、また現地を応援できるプロジェクトを企画中です。
決定しましたら皆様にもお流ししますので、よろしくお願いします。
ー以下転載ー
皆さま
とちぎボランティアネットワーク矢野です 本会の活動状況等をお知らせします。 活動の大分類は @県内に来ている避難者の支援 A被災地に救援 の2つ。 被災地救援は2つのプログラムがあり、 1つめは毎週水、土出発の3泊4日(水木金土)と4泊5日(土日月火水)の現地滞在型ボランティアプログラム。現地で前チームと引き継ぎしなが ら、安定的に現地に役立つ支援をするもの。場所は福島・郡山(ハートネットふくしまと共同)と気仙沼です。気仙沼はVCの運営のほんの一部をにな いつつ、個人宅等で片付け・泥出し作業や避難所御用聞きをやってます。 このプログラムは合わせて20-25人位を継続派遣。気仙沼の隣の一関市室根町にボランティアベースキャンプを設け、市内まで30分で通っていま す。ちかぢか栃木のみならずボラを受け入れる準備をしてます。 2つめは4/9から始まった「週末 石巻日帰り泥出し隊」。一目瞭然のプログラムで石巻津波浸水家屋の泥出しの人海戦術対応です。第1回は矢野も 作業しましたがとてもとても20人の中型バスでは足りないので、栃木県バス協会の協力を得て、毎週土・日・水に増便。大型50人乗りでいくよう手 配しました(4/16から) 石巻VCにいる元日本財団・Kさんに電話できいたところ、泥出し終了はまだ2%ぐらいとのこと。平日6-700人のボラ、土日は1100人位か な、とのこと。とにかくあと1か月位でなんとかしないと雨季に入り、いろんなことが心配です。 栃木から、もっと増発する必要がありますが、本会の能力だけでは話にならないので、北関東のほか、埼玉・東京・神奈川・千葉の人口過密地帯から 夜行1泊便とか、ものすごくたくさん増発していただきたいと思います。(石巻VCに打診しつつ) 問題はこれをやる団体が東京方面にあるのか? キャッチャーはいるんですからあとはピッチャーが球をひたすら投げるだけです。 宮城はまだボランティアが多く希望が見えますが、福島はボランティアがいない。宮城の10分の1もいない気がします。だからこそ、外部からボラ ンティアのツワモノが入ってもらわないとだめだと思います。福島の救援情報の整理、支援プログラム提示と外部への発信、そしてキャッチャーの役割 を担う「よそ者」が必要だと思います。 被災地NGO恊働センターです。 「まけないぞう」作りと足湯を行っているMさんのレポートです。 文中でもご紹介しますが、岩手県遠野市にボランティアの方たちの宿泊施設が建設されました。長期的な支援を行いやすくなることで、一日でも復興が早まることを願うばかりです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Mさんのレポート ……………………………………………………………………………………… 昨日、震災から1ヶ月が過ぎました。岩手の被災地から神戸に戻りました。こちらは桜が満開で若葉が芽生え、被災地とはまるで別世界ですね。被災地ではいま梅の花が満開で、桜は5月に咲くそうです。。。その頃には被災者の方たちとお花見ができる心の余裕ができればと願うばかりです。 遅ればせながら、レポートの続きを・・・ 〜いよいよ"遠野物語"がはじまります〜 震災から1ヶ月を目前に4月8日に第25号で紹介された「ROADプロジェクト」の一環として県外ボランティアを受け入れる遠野のボランティアハウスが開所しました。その中には、ボランティアの人たちに提供する食事(有料)をつくる本格的なキッチンが常設されました。料理を手がけるのは、釜石で被災を受けた日本料理店の方です。まごころネットを構成しているJCの方たちの協力のもと仕事を失った被災者の方に仕事作りが始まろうとしています。ボランティアハウスの横にはコンテナも配置し、食材などをおけるスペースも確保してくださいました。"遠野物 語"の第1号です。今後もこのような物語が生まれそうです。 【4月2日レポート】 今日は初めて訪問する金沢エリアの「金沢地区生活改善センター」という避難所を訪ねました。ここは子どもも含めて35名くらいの方が避難されていました。 対応してくださった若い女性の方が、「いまは私たちだけで、人がいなくて他の人にも悪いから、別の日にお願いします」ととても遠慮されていました。よく聞くと別の男性が「ここらの人間は遠慮深いから」と。そういえば、避難所などに訪問して物資を届けていても、「私たちはこれでいいから、他の人にもあげてください。もうたくさんあるからいいです」などの声をよく聞きます。お節介なくらい言わないと受け取ってもらえないのです。本当に東北の人たちは遠慮深いです。 この日はみなさん、土曜日ということもあり、家の片付けや温泉などに出かけていて、いらっしゃる人が少なかったけれど、5才くらいの子〜中学生くらいの男の子たちが足湯をしてくれました。お湯が足りずにひとつの桶に二人が入って、楽しそうに足湯につかっていました。一人の中・高生くらいの男の子が「ぼくは津波と競争して勝った」と教えてくれました。このくらいの時期の子どもは、なかなか自分のことを話せず、小さな子どもたちがいるのでその面倒を見ていて、本人のストレスのはけ口がなかなかありません。どんなことを抱えているのか、とても気になります。 また、べつの高齢の女性の方は、津波で夫が流され、まだ行方不明になっているそうです。親戚の家も流されたそうです。わかめやホタテなどの漁業で生計を建てていたのに、この津波で船が4艘も流され、家も何もかもなくなったということでした。その状況を昨日見に行ってきたら湖のようになっていて、かなりの精神的ショックを受け、肩がとても硬く痛くなったそうです。お話しをしていたら、一緒にきた枇杷の葉温圧をしてみたいと、1時間ほど受けてくれました。やる前とやった後では、顔つきが変わり、とても楽になったと言ってくれました。そばにいた娘さんも、車で高台に逃げたけれど、車で逃げようとした人たちが間に合わずに車のまま、流されてしまったと話してくれました。そんな話しがあちこちで聴かれます。被災者の方たちのお話しを聴く度に被害の甚大さをひしひしと感じます。。。
被災地NGO恊働センターです。
地震に先遣隊として被災地に入ったTのレポートです。 自分にできること、話を聞くだけでも救いになるのだろうか。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Tのレポート ……………………………………………………………………………………… 山形県米沢市。 Yのレポートでも説明されているとは思うが、ここに福島県から、福島第一原発から半径20キロ圏内にあり避難指示を受けたひとと、その周辺から自主避難してきたひとたちが今も避難生活を続けている。 【言葉の壁とそばにいること】 避難所の体育館。生活スペースのアリーナの外、ロビーに設置されたテレビ。そこでただひたすらに地震関連の情報を流し続けるその画面をぼうっと見つめるおいちゃん。その横にすとんと腰かけ、声をかけてみる。 堰をきったようにたくさんの言葉を私に投げかけてきた。テレビを見ていたときの顔と違って、目は、顔は、たくさんの表情にあふれていた。 でも、言っていることがほとんど分からない。浜通りから来たということ。農業機械が流されたこと。 少しずつは分かるけれど、気を利かせて言っただろう冗談も笑うところが分からない。 たまに分かった言葉を、ひとつひとつ、追いかける。おいちゃんはそんな私の状態を、知ってか知らずかお構いなしに、語ってくれる。 どれくらい話しただろう、そんなとき神戸からの電話でふたりの時間は終わった。 その日以来、そのおいちゃんと会う場所はなぜかトイレ。一緒に横に並びながら、おいちゃんはいつも、いつも聞いてくれる。「神戸にはいつ帰るんだ?」って。 この避難所には、間に他の避難所や親戚の家を転々とした後に辿り着いたひとが多い。そのおいちゃんもその中のひとり。 福島から避難してきたといえど、自治体もばらばら、知り合いもいない見知らぬ土地で、話に耳を傾けてくれるひとは少ないのだろう。 こうして話を聴くひとの大切さ。そして、言葉の分かる地元のひと。外からできることを考え、中のひとと一緒にやっていくことを考えていかなければいかない。
2011年4月07日-2
昨夜メールが届きました。 2011年4月07日 いつも大変お世話になっております。
大分県社協の村野です。
昨夜の地震も大変恐かったですね。
大分県内社協職員も6名が福島県に入っていますので、すぐに安否確認をさせていただきました。
特に新地町は津波災害も受けた地域でしたので、すぐに連絡をしました。
その時に携帯はつながりませんでしたが、着信記録が残っていたのか?0時20分頃連絡がきました。
こんな揺れは生まれてはじめてだと言ってました。新地町社協に毛布を持ち込んで泊まり込んでいるのですが、
テレビが落ちないように捕まえておくのがやっとだったということです。そして、新地町にある5つの避難所で
唯一、津波災害を受けた市役所の隣の避難所にすぐに駆けつけ、地元行政職員や社協事務局長とともに、避難所にいる車いすの高齢者や住民を2階に避難させることに専念していたそうです。
私に連絡してきたときはまだ息がきれた状態で、今、みなさんを無事に避難させました!
そう、報告してくれました。何より、けが人もなく無事だったことにほっとしました。
15日から再び福島県に入ることが決まりました。現地を離れてからどのくらい快適な生活をおくれるようになっているのだろうか?今回も被災者や被災地のための活動を行ってきたいと思います。
さて、2つの活動報告を転載します。
ー以下転載ー
皆さま
RSY Uです。 昨日23:32頃、宮城県を震源とする地震が発生しました。RSYが拠点を置く宮城県宮城郡七ヶ浜町は震度5強で、強い揺れの後すぐに停電になり、数日前にようやく復旧した水道も一時停止しましたが、宿泊先の水道 は現在復旧しているようです。 4月4日〜4月7日午前中まで、日本財団ROADプロジェクトと震災がつなぐ全国ネットワークとの合同企画「足湯プロジェクト」より、東京方面から21名のボランティアが派遣されていました。震つな事務局を兼務しているRSYでは、地元の災害ボランティアセンターと共に、現地での受け入れ・活動コーディネートを行い、6か所全ての避難所での足湯、1地区での個別訪問(ニーズ調査)を実施しました。(詳しくは次号にて報告します) 続いて7日20:00時過ぎ、RSYボランティア第3陣16名が現地に到着。地震発生時はミーティングを終え就寝していた頃でした。 私たちは3部屋に分散して宿泊していましたが、強い揺れが収まった後、外に避難するよう声掛けをし、全員の無事を確認しました。その後津波警報が発令されたため、マイクロバスにて高台にある役場へ緊急避難。8日1:30頃、津波警報が解除されたため再び宿に戻り、再度安全を確認して就寝しました。 余震は、Uが2度目に現地入りした4月3日から毎日続いていましたが、これ程の規模は初めてで、大きな恐怖感を感じました。幸いなことに、七ヶ浜町では今回の地震での津波の被害は無いようです。 しかし前回の地震で被害を受けて弱くなっていた家が、さらに大きな被害を受けている可能性があります。また、沿岸付近や避難所で生活する皆さんの不安や恐怖心は非常に大きいだろうと予測され、本震のフラッシュバック等も心配されます。 本日は今のところ、予定通り現地で活動する予定です。 災害ボランティアセンターでの活動サポート、現地ボランティアへの炊き出し、地区の個別訪問、足湯(1か所)を実施します。 避難所での足湯は非常に喜ばれ、毎回30名近い方々が利用されています。個別訪問では、1戸1戸を回り声をかけて必要なものを届けたり、掃除道具を持参してその場でニーズに対応するというスタイルをとっています。 2mの床上浸水を受けたお宅のお年寄りが「災害ボランティアセンターがあるのは知ってたけれど、みんな大変だし、こんなこと頼んでいいかわからなかったので電話できなかった。来てくれて助かった」とおっしゃいました。「早くに消防団が、泥のついた家財道具の撤去や泥かきをしてくれてとてもありがたかったが、何がどこにあるのが全く分からず、選別に苦労した」と疲れた表情で語られた住民の方の方の顔を見て、もっと早く来ることができなかったことを悔みました。 しかし、それを見た周辺のお宅からも「うちも頼みたい」と声がかかりました。支援を求めている方々はまだ沢山います。私たちができることは一つひとつですが、今後も小さな声を聞き逃さぬよう、できるだけ丁寧に、できるだけ迅速な対応を目指して活動していきたいと思っています。 今週の活動報告は、次号にて詳しく掲載致します。
被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入ったYのレポートです。足湯をとおして、被災された方々のなかから、自らが支援する側に立って動き始める人がでてきました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Yのレポート ……………………………………………………………………………………… 米沢で足湯を始めて、約2週間になる。 徐々に顔と名前が一致して来た。生活クラブ山形を拠点にした「ボランティア米沢」のメンバーとして活動している米沢足湯隊もすっかりベテランのようになってきた。 足湯に来られるのは高齢者だけではなく、子どもも多い。実際に足湯をして、「気持ちいい〜」という4歳の女の子も常連さんである。最近では、足湯隊の若者達が、地元、米沢の高校生や避難している高校生に足湯を教えて、手伝ってもらったりしている。 浪江町から家族と避難してきたSちゃん(14歳)は、足湯をしているお兄ちゃん、お姉ちゃんを見て、「私も手伝う!」と言って、毎日手伝ってくれる。「やる事がなくて退屈。」というSちゃんだが、とても退屈しのぎだけで来ているようには思えない。きっと人の役に立ちたいと思っているのだろう。 また、Iさん(29歳)も同じく南相馬市から家族と共に避難して来た。以前、旅をした時に沢山の人に親切にしてもらった事の恩返しから、自らボランティアに志願し、米沢の学生ボランティア達と積極的に活動に参加している。「家族が福島に戻っても、俺はここに残ってボランティアを続ける。」と語っていたそうだ。被災者自らが、ボランティアとして積極的にかかわる事こそが大事なのだろう。
ー以上ー
2011年4月06日 いつも大変お世話になっております。大分県社協の村野です。
被災地でも少しずつガソリンが行き届くようになり、ボランティア活動も活発になってきました。
ただ、いろいろな方のお話を伺うと被災地域の活動者がオーバーワークになっているとの報告も聞こえて来ます。
一部お伝え致します。
ー以下転載ー
4月6日受信
〜前略〜
元より,災害VCや社協には全く余裕がなく,私の親友の仙台市のとある区の社協責任者は,12日以来18時間労働で,やっと一昨日21時に帰れた!と喜ぶような状況です.
ネット環境も携帯くらいしかないので,このようなMLを見る機会も,まあ見る気も,また見る場所もありません. 被災地現地に負担のないご支援を切にお願い申し上げます
ー以上ー
心が痛みますね。特に市町村(区社協)の職員が大変な状況です。顔の見える関係を日常築いていますから、何とか住民のために
頑張らなければという責任を感じていることと思います。
大分県内から、現在福島県へ6名の社協職員が応援に入っていますが、人員が足りない現状です。少しでも多く入れればみなさんに休んでいただけるのに…業務が多種に渡り多忙のため、きちんとお休みをとって頂けないようです。(お願いはしているようですが)
ー転載ー2
被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。 まだ不安要素すべての解消には至りませんが、ガソリン供給は安定してきており、動ける人々が増えています。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 吉椿のレポート ……………………………………………………………………………………… 以前のレポートでもふれたが、地震直後、被災地のほとんどの場所で深刻なガソリン不足が長く続いた。多くの被災者の人々は、「ガソリンがギリギリでここにたどり着いた。」、「故郷に帰る分のガソリンだけ残している。」、「ガソリンを使いたくないから外に出ない。」と語った。 ほとんど被災のなかった米沢でさえ、ガソリン供給に5時間並んで、一度に入れてもらえる量はわずか5Lのみ。長い時はガソリン渋滞は夜を越して、車だけ置いて順番をとり、翌朝また長蛇の列に並ぶという光景も見られていた。 最近、米沢もガソリンの供給が正常に戻りつつあり、1時間程度の渋滞で給油できるようになって来たが、その分、親戚の家や行政の用意した市営住宅など次の場所を求めて避難所から人々が動きつつある。避難所開設直後よりすでに約100名近くが退所している。避難所のある人は、「南相馬市の仕事場から連絡があって、仕事に復帰しなくちゃいけなくなった。」と言い、家族を避難所に残して単身で戻る事や原発に対する不安の色を隠せないでいる。 ……………………………………………………………………………………… ●東北地方でのボランティア活動(避難所運営・ボランティア拠点立上げ)の 資金を募集しています。 ●宮崎から東北へ、支援の輪を〜「野菜サポーター」を募集しています。 ●「粉ミルクを届けようプロジェクト」、アレルギー用粉ミルクとカンパを募集しています。 ●岩手県大槌町・仮設診療所建設(AMDAへの協力)への募金を呼びかけています。 ●事務局カンパを募集しています。 振込口座:郵便振替01180-6-68556 口座名義:被災地NGO恊働センター 通信欄に、支援事業名をお書き下さい。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 被災地NGO恊働センター E-mail ngo@pure.ne.jp URL http://www.pure.ne.jp/~ngo/ TEL 078-574-0701 FAX 078-574-0702 〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10 ■■■■■■■■■ 2011年3月31日 いつも大変お世話になっております。
大分県社協の村野です。
このところ当センターに現地活動をしたいという方からの問い合わせが多いようです。それも当センターが団体で連れて行くのかとの問い合わせです。(中にはそれが当然とまくし立ててこられる方もいらっしゃいます)これは被災地で多く活動している私からすれば、自己満足です。
本当に被災者の支援をしたいと思うのならば、大分から出向く旅費を”ボランティア活動支援金”に寄付をお願いしたいです。大分から数人が行く旅費で、多くの人がいる東京から大型バスをしたてて活動してもらう方が、よっぽど被災地は助かります。それも自己完結で行けるように…。
確かにあの映像を毎日見ていれば、何とかしたいと思われるのは当然なのかもしれませんが、冷静に考えて頂きたいと思います。被災地や被災者にとっての本当の支援とは何なのか?
みなさんのまわりにも被災地に行きたいといわれる方がいらっしゃるのであれば、一緒に考えていただきたいと思います。もちろん、被災地が特殊な技能や能力を必要としているときは別ですよ。賢明なご判断を促して欲しいと思います。
さて、被災地の情報を一部転載致します。
ー以下転載ー
被災地NGO恊働センターです。
震災当日の11日より、被災地で活動しているYのレポートと、神戸のある支援者の方から事務局に寄せられたメッセージをご紹介致します。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Yのレポート ……………………………………………………………………………………… 数年前、岩手県三陸海岸を歩いて「いのちをまもる智恵」という本を作った。宮古市田老町は過去に数十回の津波の被害を受け、「津波太郎」という汚名をもらっている。特に1896年(明治29年)の明治三陸津波では1859人が、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、911人が犠牲になった。 その後、世界最大の防潮堤や防潮林、防災無線、避難通路の確保など二重、三重に津波を防ぐ備対策を講じてきた田老町であるが、今回の津波は、世界最大の防潮堤(高さ10m、総延長2.4km)をはるかに超えて、約500mが倒壊したという。宮古市全体では、死者307人、行方不明者約1700人、避難者8836人(人口の4分の1)という被害を出した。(23日現在) 拙著「いのちをまもる智恵」でも取り上げている田老町で防災紙芝居を行う語り部、田畑ヨシさん(87歳)は、幼少の頃、明治三陸津波で生き残った祖父から「津波の時は、てんでバラバラ逃げるんだ」という「津波(命)てんでんこ」という伝承を聞かされていた事で昭和三陸津波の際、ヨシさんは逃げのびた。 この地震発生直後、神戸より何度も何度もヨシさんのご自宅に電話をかけていたが、音信不通のまま安否も分からずにいた。だが、先日「ヨシさん、テレビに出てたよ。無事だったよ。」と友人から電話があり、安堵した。ヨシさんは、いち早く高台に避難し、妹さんの家に避難していたそうだ。 だが、ヨシさんは。「もうこの町には住みたくない。」、「語り部としての役割は終わった。」と語っていたそうだ。悲しい言葉だが、それだけ過酷な状況だったのだろう。でも「誰か、津波の恐ろしさを語り伝えてほしい」とも言っていたそうだ。津波を何度も経験したヨシさんは、今どんな思いで暮らしているのだろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ある支援者からのメッセージ ……………………………………………………………………………………… NHKで当センターを取り上げて下さった番組をご覧になり、「神戸市垂水区の一市民」と名乗られる方が、「感動致しました」と、手紙とご寄付をお持ち下さいました。たいへん心打たれるメッセージでしたので、紹介させていただきます。 * * * 毎日恊働センターのお仕事大変ご苦労様です。3月27日朝NHKの放送を見ました。東北大震災発生後4時間後に既に今回の活動を開始されていたことを知り、大変感動いたしました。その後の的確なる活動振りを拝見し、さらにさらに感動しました。 この度の震災は範囲が広く、それに地震と津波と福島原発の被害が重なり、まさに今までに例を見ない、大きな被害になってしまいました。 とにかく今できることからやっていく、そのうち皆さん方の知恵と工夫でどう対処していくかの筋道を立てた救済活動に展開されていくとのことで、本当に素晴らしい活動出あることを知りました。 被災地では自治体そのものが解決的被害を受けており、地域の閣となる組織体がなくなっていますので、ボランティア活動のとりまとめができなく、全国の皆さんが応援に行きたくても、なかなか実現しない状況のようです。 こんな時NPOの方々が連絡を取られ、その核となって、被災地の救済に当たられるのは、本当に素晴らしいことだと思います。 私どもは、阪神淡路大震災のとき、全国の方々、そして世界のあちこちから元気をいただきました。今回はぜひとも被災地の方々に元気を届けたいと思います。 私どもはなにぶんにも年齢的に、現地に行ってお手伝いをするには無理があり、また現地で逆にご迷惑をかけてはなりませんので、せめて義援金だけでもと思い、少ないですがお届けに来た次第です。 どうかこれからも、被災地への救援隊の派遣や災害弱者の救援に頑張ってください。東北の被災者の皆さんに「頑張ろう東北!!頑張ろう日本!!」「必ず復興できる、希望を持って、この災害を乗り越えよう!!」を伝えてください。 (垂水区 一市民) * * * この方のおっしゃるように、「希望を持って、この災害を乗り越えよう!!」という全国からの応援の気持ちを、いろいろな形で伝えてきたいと思います。 ……………………………………………………………………………………… ●東北地方でのボランティア活動(避難所運営・ボランティア拠点立上げ)の 資金を募集しています。 ●宮崎から東北へ、支援の輪を〜「野菜サポーター」を募集しています。 ●「粉ミルクを届けようプロジェクト」、アレルギー用粉ミルクとカンパを募集しています。 ●岩手県大槌町・仮設診療所建設(AMDAへの協力)への募金を呼びかけています。 ●事務局カンパを募集しています。 振込口座:郵便振替01180-6-68556 口座名義:被災地NGO恊働センター 通信欄に、支援事業名をお書き下さい。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 被災地NGO恊働センター E-mail ngo@pure.ne.jp URL http://www.pure.ne.jp/~ngo/ TEL 078-574-0701 FAX 078-574-0702 〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ー以上ー
誤解して欲しくないのは、Yさんはご存じの通り中国やアフガニスタンなどでも活動を行っています。それも何年も被災地に滞在して住民の生活を支えているのです。また、何もない場所でも自活して支援が出来るスキルを持っています。ですからこのような活動が出来ているのです。
2011年3月28日 おはようございます。 2011年3月27日 おはようございます。大分県社協の村野です。 2011年3月26日 おはようございます。 2011年3月25日 大分県社協の村野です。 2011年3月24日
2011年3月23日 みなさま、こんばんは。大分県社協の村野です。本日、18時30分頃、福島県に入りました。
2011年3月22日 いつも大変お世話になっております。大分県社協の村野です。
2011年3月21日am1:20
2011年3月19日
2011年3月18日
明日から内閣府の”防災ボランティア検討会”に行って来ます。
広域連携について、これからの支援について話し合われることと思います。そして、個人的に22日より村野は福島県社協に行くことになりました。
まだ現地にボランティアが行くことはできません。とりあえず早く支援できる体制を創る必要があります。今回は「災害ボランティアセンター運営支援者」としての派遣依頼です。また、大分市社協職員と佐伯市社協職員の若い職員2名を連れて行きます。早く若いスタッフに引き継がないと…。
現地から通信ができるようであれば、現地報告をしたいと思います。でも、あまり期待しないでくださいね。疲労困憊で無理かもしれませんので…。
村野
Yのレポート
……………………………………………………………………………………… ■名取市市役所ロビーには、市内約20か所の避難所に避難されている方々の名簿が張り出されている。沢山の人が、ここにやってきて家族、友人などの安否を確認する為に目を凝らし、名簿を見つめている。 市役所の向かいの体育館の前を通りかかった時、ひとりのおばあさんを見かけた。83歳のそのおばあさんは、体育館入口の植え込みに座りこんでいた。向かいの文化会館で避難生活を送っているそうで、「子供がケンカしたりして、うるさくてね。」と言い、その空気から逃れてきたのかもしれない。地震発生後、近所の人がここに連れて 来てくれたそうだ。「津波が来るって言われて、財布も取れずにそのまま逃げてきたから。。」と言うおばあちゃんの足元は裸足だった。「靴下のもないから。。」とつぶやいていた。 ■名取市の最大の避難所「文化会館」には約800人の方々が避難している。 その多くは、津波ですべてを失くした閖上の人々である。その他、市内の下増田、牛野、などの近隣の町や福島、仙台の方から来られてる方もいるそうだ。また、たまたま名取に出張で来ていた方もこの避難所に一時避難してるそうだ。 あるおかあさん(50代)は、たまたま市役所で働いていた知人の誘いで文化会館まで避難してきたという。自宅が、海岸線から比較的近かった閖上3丁目であった事で家も車も全てが流された。おかあさんの語った「もう駄目。。」という言葉にはきっといろんな意味が込められいるのだろう。 ■名取市閖上地区の人々の多くが、避難する文化会館。入り口で煙草を吸っている お父さん(50代)も閖上の方だった。「閖上はなあ。日本一の赤貝があるんだ。」と少し自慢げに語る。「でもなあ、30軒くらいあった漁師の船も全部ダメになった。」と。地震後、5分くらいで最初の津波がやって来て急いで逃げたそのお父さんは、30分後くらいに自宅に戻ろうとした時に、大きな津波が来るのが見えたそうだ。第2波が非常に大きかったと言う話は多い。 「映画やテレビで見る津波は本当だった。」と言い、その時の恐怖を思い出しているように見えた。 厳しい状況の中で、被災者が避難所の自主運営をしていると、3月18日の朝のニュースに出ていました。被災者のたくましさを感じます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 最新ニュース! ……………………………………………………………………………………… ■足湯開始!! 本日午後から市営体育館で「足湯」を行います。米沢の即席足湯隊が結成されました。 足湯とは、たらいにお湯を張って足をつけてもらい、被災者の方に心身ともにリラックスしてもらう活動です。 追って報告をお伝えします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Yのレポート ……………………………………………………………………………………… <3月14日> ■ご存じのようにこの地震、津波による被災地は広範囲にわたる。 3月14日、名取の被災地から北上し、南三陸町へと向かった。現地に向かう道では、警察車両が列をなして、同じ方向へと向かっていた。 ラジオのニュースによるとこの日、南三陸の海岸線に約1000体の遺体が打ち上げられたという。南三陸町の中心地、志津川の手前の小森集落でも津波が襲い、住宅は流され、大型トラックは横転し、田んぼもガレキの海と化していた。たまたますれ違ったお父さんが「あの鉄骨のガレキは、建設会社の建物で元々あそこにあったんだ。」と数百メートル先を指さして教えてくれた。1キロ以上先から流されて来た屋根もあるという。おじさんは、「ここでも6人が未だ行方不明だ」といい残して去って行った。 津波に襲われ、家屋内にガレキが侵入したが、かろうじて流されずに残った家屋に人影を見つけた。近づいて見ると、一人の女性がガレキの中で何かを探していた。「お母さん、何しているの?」と訊ねると、「靴を探しているのよ。」と返って来た。 「おじいちゃんが自宅の中で亡くなったんだけど、遺体は人にだしてもらったんだよ。」 とぼそりと答えた。その後もひたすら靴を探すお母さん。何かをしていないと気が休まらないのかもしれない。 ■南三陸町志津川は、海抜0メートルに近いところに町の中心があった。一般家屋だけでなく、町役場、病院などの公共施設もすべて流され、「総合防災庁舎」の字が津波でむき出しになった赤い鉄骨の間から見えていた。3月14日現在でも約1万人の行方が分からない。 高台に位置している小・中学校に住民の方々は避難している。高台に上がる途中の家屋も傾き、ガレキに呑まれていた。だが、坂の途中のあるラインを越えると地震前とそのままの状態で家屋が残っている。庭にはガレキのひとつさえない。たった数十センチの差でこうも違うのかと思った。坂の上にある志津川小学校のグランドからは津波で廃墟となった志津川の町が見渡せる。ここには、津波直後、約1000人の住民の方々が避難していたが、現在は 約700人ほどに減ったそうだ。過酷な避難所暮らしから逃れるために親戚や友人を頼ってこの地を去って行った。すべてを失くした人達にはこのグランドからの景色はあまりにも酷い。 ……………………………………………………………………………………… ●東北地方でのボランティア活動資金を募集しています。 ●宮崎から東北へ、支援の輪を〜「野菜サポーター」を募集しています。 振込口座:郵便振替01180-6-68556 口座名義:被災地NGO恊働センター 通信欄に、「東北地震支援」又は「野菜サポーター」と書いて下さい。 http://www.pure.ne.jp/~ngo/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 被災地NGO恊働センター E-mail ngo@pure.ne.jp URL http://www.pure.ne.jp/~ngo/ TEL 078-574-0701 FAX 078-574-0702 〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ー以上ー
2011年3月17日
いつも大変お世話になります。
大分県社協の村野です。
現在県内市町村を巡る研修会を開催しているため、こちらからの発信が遅くなりすみません。本日は”東北地方太平洋沖地震”の情報を2つ転載致します。
たくさんの情報がありますが、みなさまに是非一緒に考えていただき、ご協力できる方はお申し出下さるとうれしく思います。
大変状況は厳しいです。昨日から死亡報告が出てくるようになりました。今年度、災害コーディネーター研修会の講師をお願いしました、石井さんも現地に入られ、昨日いったん戻ってこられた時に(羽田から)連絡を下さいました。「これまでの被災地では考えられないほど状況が厳しい。まず、今後起こりうる事柄を行政職員が理解していない。対応が本当に遅い!また、支援に入っても食べるものや燃料の調達が出来ないので継続して支援活動が展開できない。これを何とかしないと…。そして、被災地は吹雪だったりするので、支援者も装備が必要。」(要約)このようなことをおっしゃっていました。本当に全国民総力をあげて支援をしなければなりません。
村野
ー以下転載ー
3月16日受信 宮城県社協 Kさんより
みなさま
昨日、ようやく、全ての市町村を直接回ることができ、全体が把握できました。
本日は、本部対応で事務所にいます。
把握しているだけでも約20名の社協職員が犠牲になり、また、200名くらいの職員が自宅を失っています。もちろん、家族を失った方々はそれ以上です。しかし、悲しむ間もなく、着の身着のまま目の前の取り組まなくてはならないことに奔走しています。行政職員もかなり多くの犠牲者が出ており、行政業務、社協業務など区別なく、被災者支援にあたっています。
一方で、16日現在、災害VCも10箇所以上で実際に看板を掲げ開設しています。しかしながら、再三話題になっているガソリン不足と停電、電話普通(hp立ち上げできず)により全国に発信しない形をえてとっています。いま、VC開設の情報を流せば、間違いなく現場は大混乱、また、今の状況では、大規模な災害VC運営も物理的に
難しい状況です。これは、コーディネーターやスタッフがいれば解消する問題とは違います。
当然ながら、立ち入り禁止解除、電気開通をした際の対応準備(VC開設準備)は進めています。全社協を通じて、各VCへ運営支援者の受け入れ調整、また、日赤にも県災害VC幹部ミーティングに毎回入っていただき、日赤で育成している支援者の受け入れ準備、地元せんだい・みやぎNPОにも同様に入っていただき、NPОの受け入れ調整も進めています。
当然ながら、これ以外の方々のご支援(経験者など)も、もちろんお願いをしていくことになると思っています。これらの連絡調整は基本的に、出来る限り私たち県災害VCが担っていくことと思っていますので、状況がきたら、ご支援いただける機関や団体さんと調整していく役割(状況説明やどこが一番支援者を必要としているかなど)を果たしていきたいと思います。
世論は「こんなに大変なんだからボランティアを」と厳しく訴えてきますが、現状がこのような感じですので、皆さんのご理解と、周囲への発信もよろしくお願いしたい次第です。
津波の被災者だけでなく、県内には沢山の支援を必要としている方々はもちろんいますが、いまは、もう少し、状況を見守ってください。
間違いなく、このあと、皆さんに直接支援をいただくタイミングがやってきますので、どうか御理解願います。
なお、ガソリンは、緊急車指定を受けても、業務内容を聞かれ、人命に関わる活動以外はなかなか入れてもらえない現状です。給油できても10リットルなどの限定です。高速道路のサービスエリアも在庫がまもなく切れるとのこと。まもなく、私たちも身動きがとれなくなりそうです。
また、今後、被害の甚大であった地域の支援活動が始まれば、間違いなく活動資材の不足が明らかです。県内の購入可能な店舗はほとんどありません。他県の建設業関係や業者との早急な支の相談をしなくてはなりませんが、
これもまた、物流の課題が大きく立ちはだかりそうです。物流の復活を見込んで皆さんのところでも、可能性を探っていただきますよう、お願いいたします。
災害VC設置状況(16日現在)
☆公表しているところ
仙台市宮城野区災害VC
仙台市災害VC(情報とりまとめのみ 区災害VC支援が主)
七ヶ浜町災害VC
石巻市災害VC
★公表していないところ(基本的に市町村内住民に限っての募集)
1町9市あります。
※立ち上げ準備中
仙台市太白区・若林区・青葉区・泉区
名取市
松島町
沿岸部の被害が甚大で、救出活動を優先すべきところ(北川所感)
若林区(荒浜地区)
山元町
亘理町
岩沼市
名取市
七ヶ浜町
多賀城市
女川町
南三陸町
気仙沼市
3月17日受信
皆さま
とちぎボランティアネットワーク矢野です 同報メールで出してます。 緊急のお願いです。 要点は栃木(方面)から行くボランティア専用ガソリン給油拠点2か所(栃木県内1、福島県央1)とそこに燃料を運んでくれるタンクローリーを大至急募集です。 皆さまの知りあい、政治力、関係業界などどんなつながりでもよいですから今日、明日にこれを実現したいです。事態は急を要していると思います。 2か所の給油拠点がボランティア専用であれば、一般道を5時間かけて次の給油ポイントまでいきその周辺200km四方にはモノ、ガソリン・灯油等が配れると思います。このように補給線を伸ばしていけば面的に物流をカバーできます。栃木―仙台ルートが開かないと「復興の主力」であるボラ・NGO等民間による救援活動は活発化し ません。配送ボランティアの大量導入がそのカギだとおもいます。ボランティアの導入で混乱が生じる懸念もありますが、心配ないと思います。それは給油ポイントが2か所しかないからです。2か所からのピストンでやればいいいし、そこに避難所物資等の情報をあつめればいいからです。 ボランティアはトラック等の車両持込の運転ボラをつのり、GSに集結してもらえばいい。栃木県内でも応援したくてウズウズしてる人がたくさんいると思いますが、ガソリンががない、避難所等ニーズ情報がないのでそのことができません。 福島県には原発系の問題があり大量の(お世話系)ボランティアが行くことは無理ですが、配送ボラは必要です。宮城はモノもボラがものすごくたくさん必要。 ということで、このルート開拓のためにGS拠点2つとタンクローリーを。 同時進行で配送ボラを栃木では募ります。(賭けです) 今日明日というのはせっかく生き残ったのに死んでしまうからです。 慢性疾患が急性になる、高齢、乳幼児の衰弱死が今日明日という時間でしょう。 麓にモノがたくさんあれば、それをだんだん荷揚げすれば、確実に頂上に届く。 緊急通行車両だけの救援段階から次のステージへ。 そのためにGSを。ガソリンを。 よろしくおねがいします。
ー以上ー
2011年3月14日
先ほど西日本新聞社(福岡市)の取材を受けました。
ある人が勝手に救援物資の募集をはじめ天神は大変なことになっているそうです。
12日〜14日に受付と広報したようですが、100人ぐらいの方が詰めかけ混乱を極めているそうです。
当人も想定外だったらしく、西日本新聞社に「もうやめたいからお宅で広報してくれないか?」と、連絡があったそうです。それで物資の件について問い合わせがありました。
現地は混乱していますし、流通がマヒしています。当会では物資のご提供は原則お断りしています。もし、できることであればボランティア支援金として募金をお願いしたいと思います。当会でも、今、その準備を始めております。決定しましたら改めて情報を流します。
朝からいろいろな連絡・取材に追われ、メール配信が遅くなりました。
村野 3月13日(日)受信
<物資募集>
………………………………………………………………………… ●静岡県ボランティア協会:毛布・寄付を募集しています 「福島県の原発周辺地域の被災者に配布する毛布の絶対量が足りない、毛布50,000枚を至急手配して欲しいとの要請が、被災地から静岡県ボランティア協会に3月12日の午後あった。 要請を受け、本協会では毛布の提供を広く県民の皆さまに呼びかける事を決定(他県からも協力可能)」 1.提供希望品 毛布(新品の毛布、もしくは洗濯済みの清潔な毛布) 2.送付・お届け先及び時間 〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70 静岡県総合社会福祉会館2階 特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会 電話054-255-7357 午前9時〜午後9時 3.附記 (1)毛布はご持参もしくは直接上記静岡県ボランティア協会事務局にご送付下さい。 (2)毛布を被災地にお送りする送料として、毛布1枚に付き1,000円のご支援をお願いします。 (毛布と一緒に静岡県ボランティア協会にお送り下さい) (3)毛布は順次被災地に静岡県ボランティア協会よりお送りさせていただきます。 ※お問合わせ先 同上 特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ………………………………………………………………………… <外国人向け情報支援> ………………………………………………………………………… ●FMわぃわぃ 在日外国人向けの多言語による地震・津波情報を放送中。 次のページからインターネットでも聴けます。 http://www.tcc117.org/fmyy/internet/index.html またFMわぃわぃのホームページでの多言語で情報を伝えています。 http://www.tcc117.org/fmyy/index.php ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ………………………………………………………………………… <被災地にスタッフ派遣・募金受付など> ………………………………………………………………………… ※こちらについては、Think the Earthのサイトにもわかりやすいまとめが載っています。 http://www.thinktheearth.net/jp/thinkdaily/emergency/2011/03/post-2.html ●ジャパン・プラットフォーム http://www.japanplatform.org/top.html 12日、名取市周辺でヘリコプターから視察 (ADRA、チャリティ・プラットフォーム、ピースウィンズ・ジャパン、 ジャパン・プラットフォームの5団体が協働) ●公益社団法人 Civic Force http://civic-force.org/index.html 12日、名取市周辺でヘリコプターから視察 13日、即応チームが東京ヘリポートから宮城県石巻市に飛ぶ。 (ピースウィンズ・ジャパンスタッフも搭乗) ●ADRA Japan http://www.adrajpn.org/ 12日、スタッフが陸路で福島到着。13日は宮城に向かう予定。 ●NPO法人 チャリティ・プラットフォーム http://www.charity-platform.com/ 募金受付中。集まった寄付は全額Civic Forceに引き渡し、 被災地支援に使われる。 ●ピースウィンズ・ジャパン http://www.peace-winds.org/ 12日、名取市周辺でヘリコプターから視察(5団体協働) 動画あり http://www.youtube.com/watch?v=OHd88ZUABlA ●AMDA http://amda.or.jp/ 12日午前、第一次派遣。同午後、第二次派遣者が出発。 ●国境なき医師団(MSF) http://www.msf.or.jp/ 12日、医師及び調整者が東京からヘリで出発。 ●社団法人シャンティ国際ボランティア会 http://www.sva.or.jp/ 週明けにスタッフ派遣 ●難民を助ける会 http://www.aarjapan.gr.jp 職員派遣を決定 ●(特活)ジェン(JEN) http://www.jen-npo.org/ 調査員派遣を決定も、12日の福島第一原発事故を受けて出動見合わせ ●国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン http://worldvision.jp/news/news_0589.html 13日にスタッフを派遣・調査 ●日本レスキュー協会 http://www.japan-rescue.com/top.cgi 11日、スタッフ3名、救助犬3頭を派遣。 13日、陸前高田での捜索活動をおこなうことに。 ●公益社団法人 日本国際民間協力会 http://www.kyoto-nicco.org/ 出動決定 ●CANPAN https://canpan.info/ 募金受付中。 復興に向けた資金的支援のため、「民による民のための災害緊急応援基金」を立ち上げ。 ●@nifty Web募金 http://donation.nifty.com/tokusetsu/ 募金受付中 ●Yahoo!ボランティア・インターネット募金 http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/ 募金受付中 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ………………………………………………………………………… ■■■連絡先■■■ 被災地NGO恊働センター 代表 村井雅清 所在地 神戸市兵庫区中道通2-1-10 TEL 078-574-0701 E-mail ngo@pure.ne.jp URL http://www.pure.ne.jp/~ngo/
現地に先遣隊で入っているYからの情報です。
本日、名取市の閖上地域で炊き出しを行いました。 先遣隊のメンバーは、昨日、宮城県名取市で重度障害者に対する地域生活支援を行っている「特定非営利法人 ドリーム・ゲート」に宿泊させていただきました。 その地域で本日先遣隊が炊き出しを行うことができました。 閖上(ゆりあげ)地域では8000人が避難をしています。 3つの避難所があります。 ・館腰小学校 ・第一中学校 ・第二中学校 今日は第一中学校で炊き出しを行いました。 すでに、富山県の高岡市からきた救援グループが本格的な炊き出し活動を行っていて、一緒に活動を行いまし た。 実は昨日、当センターに以下のような問い合わせがありました。 「Twitterを見て、名取市の閖上(ゆりあげ)小学校がSOSを発信している。助けてあげて下 さい」という声を届けてくれた人がいました。 まさにこのSOSがあった地域で偶然にも本日活動を行うことができたのです。 ライフラインについては、名取市では、電気はほぼ使えず、水は一部は通りはじめ、炊き出しはできる状態でした。また、ボランティアセンターの立ち上げについての検討がなされているようです。今後、足湯も展開できる場所も検討していきたいと思います。 今晩は、先遣隊は一端山形に戻ります。 3月14日(月)受信
現地レポート
……………………………………………………………………………………… <3月11日〜12日> ■山形から宮城へ 3月11日(金)午後7時、神戸を出発し、北陸道を北上し、被災地を目指した。 途中、柏崎あたりを走っている頃、中越地方を震源とする地震も発生した。 新潟で北陸道を降り、国道113号線を東に走り、積雪、吹雪の中、山形県に入るとほとんどの家屋が停電だった。食料を買うにも空いてる店はほとんどなく、ようやく見つけたコンビニでは棚には食料は残っていなかった。また、ガソリンスタンドも停電の為、多くが閉鎖され、かろうじて空いているスタンドでも長蛇の列と10Lのみに給油が 制限されている。 山形市内では、山形県災害支援ボランティアネットワーク運営連絡会に顔を出し、現地の状況をお聞きした。山形ではそれほど大きな被害は出てはいないが、県内に設置されている避難所などを支援する県内チームと周辺県を支援する県外チームに分かれて活動する体制を作っていくそうだ。 その後、286号線を越え、宮城県へと入った。 岩沼市周辺では屋根瓦などが落ちる被害は見えるが、家屋が倒壊している様子はあまりない。仙台東部道路(6号線)を越えると津波の被害が徐々に見え始め、周辺の田畑はほとんど水に浸かり、一面プールのようになっている。主要道路も交通規制がかかり、海岸沿いには行けない。農道も水に浸かり、寸断されている所も少なくな い。 岩沼市下野郷に住むお母さんは、「また津波が来るかもしれないからここにいない方がいいよ。」と声をかけてくれ、自宅から寝具などを持ち込み避難する様子だった。 「昨日、山の手の方の友達の家に避難したが、家が気になって戻って来た。」と語るお父さんは、自宅の前の側溝の泥を黙々とかき出していた。 ■仙台空港への道 その後、未だ空港ビルに約2000人が閉じ込められている仙台空港へと向かった。 途中、津波で流されてきた流木やガレキなどが道沿いに積み上がられていて、道路も泥だらけ。歩道には空港方面から歩いてくる人々とすれ違う。皆、孤立していた場所からようやく解放された人々であった事が後に解った。 空港手前の航空大学校周辺で歩いていた男性3人は、東京から工事関係で来ていた方々であった。約160人ほどが避難していた航空大学校の建物の屋上に避難したそうで、1階はほとんど水で浸かったという。「こんなひどいのは始めてやった。」、「水に濡れ、寒さで体力が持たずに無くなった人がいた。」とつぶやいた。発電機が あったのでテレビを見る事が出来たそうで、「情報があったからよかった。」とも言っていた。丸1日経ってようやく救援が来て開放され、安堵している様子であったが、会社の社宅もどうなっているか分からないし、東京の家族も心配そうだった。 その後、歩いていると何度も声をかけられた。「ここで息子が働いていたんやけど、どうなったから知りませんか?」、また、別のお母さんは、「昨日、子どもからここに避難しているって連絡あったんですけど、まだビルの中にいるんでしょうかね?」など多くの人々が自分家族の安否さえ分からない。 その先はガレキが散乱していて、空港へはたどり着けなかったが、津波で孤立した航空機機材の会社の従業員がゴムボートで救出されている姿を見た。報道によると名取市内だけでも約4400人(12日午後時点)が未だ孤立しているという。 ■名取市閖上地区 その後、名取市で甚大な津波被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区へと入った。仙台東部道路から先は、見渡す限り、流されてきたガレキの山で、数件の家屋からも火が上がっていた。車は水に浮かび、船は道路に打ち上げられ、住宅地だった所も何もなくなり、一面のプールのようになっていた。消防や自衛隊の緊急車両などの 並ぶ中、被災者の人々が行き交う。 閖上地区の人々が避難していた閖上小学校では、数百人の人々が未だ避難していたが、すでに次の津波などに備えて、名取市街の館腰小学校へと移動し始めている。 学校の中では、沢山の被災者の方が、バスや消防車に分乗している避難する為に準備していた。廊下で2匹の犬とひとり寂しく座っているお母さんがいた。 お母さん(50代女性)は、「お父さんが行方不明でね。」とつぶやいた。お母さんは、地震が起きた瞬間に旦那さんと別々の車で中学校に避難してきたそうだ。だが、中学校に着くと同時に津波がやってきて、そこから旦那さんの消息が途絶えたという。 「どこかに流されたんだろうね。。」と諦めの言葉を発する。今は、必死で助けた2匹の犬だけが心の支えであるようだった。 その後、最後のバスの案内が来たが、「犬がいるから最後でいいわ。」と言う。そんな事してたらいつになるかわからないと思ったお母さんは、「今日はまたここに泊まるのは嫌だなあ。寒いし、食べ物もないし。」と言うので、僕たちの車で次の避難所まで送る事にした。 車の中で僕らが持っていた餅を差し上げると「甘いもの食べたら、ホッとしたあ。」と笑顔を見せてくれた。 その後、館腰小学校に着いてからも犬がいると言う事から体育館に入る事を遠慮している母さん。避難所の手続きを終え、もらったパンを自分は食べずに犬に全部あげていた。やはり犬を中に入れる事は出来ないという事で、とりあえず犬は外につないで、お母さんは中に泊まる事になったが、旦那さんの行方も分からず、知り合いも どこにいるのか分からず、非常に不安な様子だった。「明日、犬の風除けの段ボールか何か持ってくるからね。」と約束し、別れた。最後に「ありがとうございました。」とか細い声でお礼を言ってくれた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ご支援お願いします ……………………………………………………………………………………… (1)東北地方でのボランティア活動資金を募集しています。 被災地にボランティアを派遣し、炊き出しや足湯などの活動を行います。 振込口座:郵便振替01180-6-68556 口座名義:被災地NGO恊働センター 通信欄に、「東北地震支援」と書いて下さい。 (2)宮崎から東北へ、支援の輪を〜「野菜サポーター」を募集しています。 宮崎の生産者から野菜を買い付け、東北での炊き出しに使います。 その買い付け資金を全国からサポートして下さい! ※詳しくはhttp://miyagijishin.seesaa.net/article/190241580.html 振込口座:郵便振替01180-6-68556 口座名義:被災地NGO恊働センター 通信欄に、「野菜サポーター」と書いて下さい
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平成22年度 被災地支援・災害ボランティア情報(42号) 東北地方太平洋沖地震(第1報) 長野県北部を震源とする地震(第1報) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 平成23年3月13日(日)18時30分発行 全国社会福祉協議会 地域福祉部 全国ボランティア・市民活動振興センター http://blog.goo.ne.jp/vc00000/ =========================================================== 3月11日14時46分頃に東北地方太平洋沖で発生したマグニチュード9.0の巨大地震に関する情報をお知らせします。 現地への支援については、昨日から、全国社会福祉協議会が災害ボランティア活動支援プロジェクト会議と現地にスタッフを派遣して調査を行っています。 深刻な被害を受けた被災地のための支援を希望する動きが高まっていますが、現時点では以下のことにご留意をお願いします。 1.被災地へのボランティアについては、詳報をお待ちください 多くの被災地では被害状況等の情報収集を行っていますが、沿岸部を中心に被害の大きかった地域では今もなお現地に入れない状態がつづいています。 今後、被害の状況把握とボランティア受け入れの態勢が整い次第、全国的な支援の呼びかけを行う予定です。このニュースでもボランティア募集等に関する新しい情報は随時発信しますので、現地関係機関への問合せはご遠慮ください。 2.被災地への物資の送付はお控えください 個別に大量の物資が送られると、量の多さや仕分けの困難さ、被災者の手元に届くまでの時間差の問題などで、せっかくの善意の物資がかえって、被災地に大きな負担を強いることになる恐れがあります。現地のニーズが明らかになり、正式に募集が行われるまでは物資の送付はお控えください。 義援金や災害ボランティア活動の資金への募金の形を取るなどのご配慮をお願いします。 なお、刻々と状況は変化しますので、最新の情報はWebサイトなどで確認してください。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 各地の状況・動き ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━┓ 青森県 ┗━━━┛ 沿岸部の市町村で大きな被害が発生しています。 青森県社協では、県本部を立ちあげ、被災地域に職員を派遣し、被害状況等の情報収集を行っています。 ┏━━━┓ 岩手県 ┗━━━┛ 沿岸部の市町村で大きな被害が発生しています。沿岸地域には近づくことができない状態が続いています。 岩手県社協では、県本部を立ちあげ、立ち入ることが出来る被災地域に職員を派遣し、被害状況等の情報収集を行っています。沿岸方面では、多くの地域で立ち入りができない状況が続いてい ます。 ┏━━━┓ 宮城県 ┗━━━┛ 沿岸部の市町村で大きな被害が発生しています。 宮城県社協では県本部を設置し、被災地域に職員を派遣し、被害状況等の情報収集を行っています。 沿岸方面では、多くの地域で立ち入りができない状況が続いています。 仙台市において災害ボランティアセンターの立ち上げに向けて準備中です。 ┏━━━┓ 福島県 ┗━━━┛ 沿岸部の市町村で大きな被害が発生しています。 福島県社協は、県本部を県社協の建物内に設置し、被災地域に職員を派遣し、被害状況等の情報収集を行っています。沿岸部には原発の関係でたどり着けないところが多くあります。 南相馬市で災害ボランティアセンターが設置されています。 ┏━━━┓ 秋田県 ┗━━━┛ 秋田県社協では、県内の情報収集を行いました。建物の崩壊等による大きな被害は出ていませんが、多くの地域で停電や断水により自主避難している人がいます。 秋田市内では電気は復旧したが、一部地域ではまだ続いている様子。明日、職員2名を岩手県社協に派遣します。 ┏━━━┓ 山形県 ┗━━━┛ 山形県社協では、山形県内の内陸の市町村社協をすべて訪問して状況を確認しました。 大きな被害をうけているところはありませんが、昨晩までは多くの地域で電気が復旧していない状態です。 ┏━━━┓ 茨城県 ┗━━━┛ 茨城県社協では、茨城県災害ボランティア支援本部を立ち上げ、被災地域に職員を派遣し、被害状況等の情報収集を行っています。 常総市、つくば市、鉾田市で災害ボランティアセンターが設定されました。他にも設置の向けていくつかの社協で準備中です。 本日県社協職員が各災害ボランティアセンターを訪問し、情報収集を行う。 ┏━━━┓ 栃木県 ┗━━━┛ 栃木県社協では、被害情報等の情報収集を行いましたが、特に重大な被害は報告されておらず、被災者は少ない状況です。 ┏━━━┓ 群馬県 ┗━━━┛ 群馬県社協では、県内全ての市町村の被害情報等の情報収集を行いましたが、特に重大な被害はないことが確認されました。 現在は被災にあった他県の支援に向けて準備を行っています。 ┏━━━┓ 千葉県 ┗━━━┛ 千葉県社協では、県社協災害対策本部を設置し、被害情報等の情報収集を行いました。 市川市と浦安市で災害ボランティアセンターが設置されています。 ┏━━━┓ 埼玉県 ┗━━━┛ 埼玉県社協では、被害情報等の情報収集を行いましたが、特に重大な被害は報告されていません。 ┏━━━┓ 東京都 ┗━━━┛ 東京では地震発生の晩、大量の帰宅困難者が発生して大きな混乱がありました。 東京都社協では、被害情報等の情報収集を行いましたが、特に重大な被害は報告されていません。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*= 3月12日に発生した長野県北部を震源とする地震についての情報 です。 ┏━━━┓ 長野県 ┗━━━┛ 長野県社協では、特に被害の大きかった栄村に職員を派遣し、被災状況の把握等を行い、今後近隣社協、県社協で支援を行っていきます。 ┏━━━┓ 新潟県 ┗━━━┛ 新潟県社協では、十日町市と津南町に職員を派遣し、被害状況等の把握を行いました。現時点の判断では、市町内または県内で対応可能の見込みです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 全国社会福祉協議会の動き ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 3月12日に全社協「東北地方太平洋沖地震福祉対策本部」を正式発足させ、情報収集にあたっております。また、政府からの要請もあり、ボランティアやNPOによる被災者の支援活動に対し、広く寄付金の募集を行うことを検討しています。 また、全社協全国ボランティア・市民活動振興センター副部長を現地に派遣するなど、情報収集に努めています。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 共同募金会の動き ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 義援金を明日(3/14)から呼びかけを開始します。 被災県組織に代わり、中央共募が全国の義援金を集約します。 災害ボランティア活動等の準備金についても、全国的な集約を図っての活用を検討しています。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 激甚災害の指定 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 政府は3月12日の閣議で、平成23年東北地方太平洋沖地震などの地震による災害を激甚災害(全国を対象とする本激)に指定しまし た。 http://www.bousai.go.jp/oshirase/h23/110312-2kisya.pdf ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 災害救助法の適用 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 宮城県 全35市町村(3月11日) 岩手県 全34市町村(3月12日) 東京都 47区市町村(3月12日) 福島県 47市町村(3月12日) 長野県 1村(3月12日) 新潟県 2市1町(3月12日) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 社会福祉法人 全国社会福祉協議会 地域福祉部/全国ボランティア・市民活動振興センター 電話 03−3581−4655/4656 E-mail vc00000@shakyo.or.jp 災害情報専用HP:http://blog.goo.ne.jp/vc00000/ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ー以上ー |